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今日のごはん

2005/02/18よりブログ開始。ぽわんと毎日を送っている、ある人間の日記。時折、絵日記にもなります。

2025.01.23
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2007.04.29
勉強は好き?

学校というところでやってたのは
「教え込まれる」ことで、あれは嫌いだったよなぁ。
特に嫌いだったのは、「美術」。

遙か昔に学校は卒業し、試験などと無縁になったと思っていたら
何の因果か、45才も過ぎて自動車学校へ。
実技は楽しかったが、講義のつらかったこと。
目を開けていようとしても、2時間も続いたら睡魔が襲う。
大学生達に囲まれながら、歯を食いしばって
(比喩ではなく、実際にそうやって眠気を飛ばしていた)
授業を受け続け、ようやくギリギリで合格。
合格の何が嬉しいって、もう授業を受けなくて良くなったことだ。

その私が、よりによってまた勉強だ。
仕事に関係している資格だから、全く別分野ではないが
果たして、この年齢で頭に入るのか?

先日会った友人に聞かれた。
「仕事して、子育てして、実家の面倒見て、絵描いて、ブログ更新して。
その上に勉強ですか。
マジッすか!?」
「マジッす!」(こういう言葉ではなかったが)

勉強に取れる時間は限られている。
学校に通う時間も金もない。
だから、短期集中型のテキストと問題集を買ってきた。
一時間以上かかる通勤時間にテキストを読む。
何度も何度も読んで叩き込む。
で、やってるうちに。
勉強は楽しいと気付く。

ある日娘と話していて
「ルート」に似てる形の話から「公約数」やらの話になり
「博士の愛した公式」から引っ張り出してきて
「友愛数」の話まで披露すると
「約数」は習っていない娘が食いついてきた。

私がやってる勉強は資格を取るためで、それは仕事と密接に関連しているけど
「数学」は実際の生活には役に立たない物も多い。
そう、起きて食べて寝て。
そのどこに「ルート」を使う?

でも、知っている。
実生活には役立たないものでも、大切な物がたくさんある。
音楽も踊りも絵も演劇も。
「役に立たない物はいらない」と思う時間は不幸だし
そう思わされ、押し込められる世はまっぴらだ。

今日も勉強する。
なんて楽しいんだ!
マジっすよ!
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2007.04.21

3月末に会社を辞めていったSさんと、もっと前に辞めたHさんと私とで
お茶会を開催。
思えば不思議な縁で。
Hさんとは2ヶ月も一緒にいたわけではないし
Sさんだって別の営業所へ行って一年。
直接会う機会などほとんど無く、たまにメールする程度。

盛り上がりましたよ。
「Hさん、お疲れ様でした&いやあ、あれから元気だった!?」会は。
午前11時に待ち合わせてから午後6時まで。
食べたり飲んだりする以外は、ずっとおしゃべり。

Sさんは福岡にいた頃より、精神的にはきつかった様子で。
よく、その中で我慢したね!
彼女は明るくって元気だった。
以前、彼女がいる営業所へ行った時とは大違い。
「辞めてよかったねぇ~!」

似たような性格だから友達になったわけではない。
自分とは違った見方をしてくれるHさんは嬉しい人だし。
(もっとちゃらんぽらんになりなさい、と心配してくれる!)
よくもここまでと言えるほど、きれいな心を持っているSさんには教えられるし。

話すうちに、自分の問題点も自ずとわかってきて
決意やら希望やら、たくさん持って帰った。
直接会って話すって、重要なんだなぁ。
そして話相手が欲しかったんだなぁ、と。

てことで、お二人ともありがとう!
また、いつか会いましょうね。
2007.04.19

明日は小学校の歓迎遠足だそうで。
今夜は材料を仕込んだら、早寝しなくては。
…なこと言ってても書き込むんだよな。

娘の学校ではここ数年、隣の校区にある公園が目的地。
一年生が歩くのだから近くて当然かと思うが
数十年前の記憶だと軽く2山越えていたぞ。

人口が増えて5つの校区に別れる前、一番遠方の人だと
バス停留所6ヶ所分の距離を歩いていたんだから
今の子どもに比べれば足は強かったのか。
その私たちでさえ、足腰が弱くなったと嘆かれていたなぁ。

あー、ちなみに私の家は何度転校しても
学校から目と鼻の先で、鐘が鳴ってから家を出ても間に合っていた。
ねぼすけを見越して引っ越し先を決めたか、父よ。

平均した体力は世代ごとに衰えていってるんだろうな。
自分の足で歩く遠足でさえ
数世代後には「体力不足」を理由に廃止されていたりして…。
笑えん。
2007.04.15

わけもなく、少々滅入ったりもして。

いやいや理由はわかってる。
最近会社の中で居場所が無いなぁと感じる時間が多くなったこと。
私を除く女性たちの平均年齢は25才。
話が合うわきゃーないんだ。

でも、「〇〇たん」とか「ぴよちゃん」とか
「たんたん」なんて呼び方はどーしてもしたくないし。
昔の職場に「〇〇たん」と部下に愛称をつけて呼ぶ同性の上司がいたが、恥ずかしかったなぁ。

いや、呼び方だけではない。
誰かが「ふわふわっとした可愛い女の子(二十歳は過ぎてるんだが)が
隣の会社に入社した」と聞けば、「わぁ~見に行きたい」と言い
「あっ、今日はグリーンのアイシャドウなのね、かわいい!」と同僚の化粧ではしゃぎ…。
おしゃれと男とダイエットと食事の事ぐらいしか話題ないのか。

…いや、どこでも同じだったじゃないか。
男同士だって、野球と女とギャンブルぐらいしか話題にしてないじゃないか。
悩みや本当に感じていることを口に出すのは、同僚ではなく友人間だけなんだろう。
私が存在していなかったエリアに住む大多数の女性が表面上に出すのは
そういうもんなのだ、と勉強するのに良いじゃないか。

「お前は、お前のなすべき事をせよ」だ。
年齢でも経験でも、リーダーになるべきだったかもしれないが
一応事務の正社員を立てて裏に回ると決めたんだ。
今さら、取り残されたなんて思うなよ。
嫉妬は醜いよ。
かけがえのない者となりたいのなら、努力せよ。
2007.04.03

さて、皆様方。
これからお話し致しますのは語るも涙のものがたり…ベベン!
(この話し方続けるの結構つらいので、さっさと戻そう。)

関節リウマチに罹患するまでは、デカ足ではあったが
それなりに靴もハイヒールなど履いておしゃれもしていたのだ。
(地面から1.8メートルの高さにてっぺんがくるわけだ)
しかしリウマチは指の関節を次々に脱臼に追い込み
あっという間に靴の選択肢を狭めていく。
まずは指の力を使う下駄や草履が駄目。
脱臼が進みすぎて直角に立った指ではハイヒールはおろか
パンプス類は全滅。
最悪なのは、運動靴の類さえ履けず
治療靴という、おしゃれ度外視の物体を履いていた頃。
うん、チャップリンが履いてたような靴だよ。

いくら化粧ができるぐらい回復したって
スカートが履けるぐらいの陽気になっても
足下がいつも裏切るの。
サイズは27.5センチ。
市販の靴が履けても、このサイズは男性用しかない。

ところが、ところがですよ。
通勤用にしていた紳士用のシューズが弱ってきたので
新しいのを買わねばなるまいと探していたわけです。
「こちらに置いてあるうち、一番大きなサイズはいくつ?」
今度はせめて婦人用を買おうと尋ねれば
「24.5です」と切ない答え。
あそこも、ここも。
諦めかけていたら
「うちには無いけれど、姉妹店はSSとLLサイズの専門店です。
近くですので、どうぞお寄り下さい」という店が。
大喜びで行くと、ああ、アコガレのパンプス。
いや、入らぬかもしれぬ。
ブーツを履こうとした私を止めた店だってあったではないか。

しかし入った!
サイズは25。女性としては大きいだろうが
身長170以上ならば普通、普通。
そして手に入れた、黒のパンプスを。
やってきた、幸せが。
それからはいそいそとストッキングを買い
膝丈スカートやワンピースまで買い
さっそうと歩く私。

しかし皆様お気づきの通り
それは「やせがまん」だったのだ。
右の指にかすかな異変を感じた時には
既に血がにじみ出ており、それでもテープを貼り履き続けた結果。
指は潰瘍状態でかなりの化膿。
さすがに黒紫色に変色した指を見て、もとの紳士靴へ。

ああ、短かった。
でも、諦めないぞ。
何足も続けて買えるような経済力はないけど
それでも「おしゃれ出来る」ことはわかった。
いざとなればスカートもワンピースも可能なんだ。
そう思っただけで、空は明るくなるようだ。
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高校生の頃、友人からつけてもらったニックネームをそのまま使用しています。
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