今日のごはん
2005/02/18よりブログ開始。ぽわんと毎日を送っている、ある人間の日記。時折、絵日記にもなります。
2008.11.05
よーと綴りもわからんくせに、書くんでない。
と自分で独り言いつつ…。
ケーブルテレビでやっていたドキュメンタリー映画、
邦題は「ベルリン・フィルと子どもたち」。
見る予定のなかった映画、しかも途中から見始めたのに
最後は身を乗り出してた。
2003年1月に行われた教育プロジェクト。
世界各国の様々な人種・年齢の子どもたち250人が
ベルリン・フィルの演奏とともにストラヴィンスキーの「春の祭典」を踊る。
ダンスなんてやったことない子がほとんど。
クラシックなんて興味ない、やる気もほとんどない。
振り付け師が話す間もふざけているし、ただ歩いたりするだけの練習にも飽きて不満だらけ。
どうやって、これでダンスが出来るんだ?
見ている方も不安になってくる。
振り付け師のロイス・マドルゥームさんやベルリン・フィルの指揮者サイモン・ラトルさんへのインタビューもはさまれる。
それぞれが「これだ!」と音楽やダンスに心奪われた時のこと。
「周囲とは変わった子」が自分の場所を見つけていく話。
「芸術は芸術家のものではありません。ベルリン・フィルは権威の象徴ではない。」
やがて子どもたちが変わっていく。
真剣にやらなくては手に入れられないものに気がつく。
目や表情が変わる、ぎごちなく挙げていた両手が太陽を浴びるように開く。
250人の舞台は、おそろしく美しい。
一人一人の動きがうねりのように現れる。
再び春が訪れるようにとささげられる少女。
「春の祭典」という曲に翻弄されながら。
そして大きな拍手が包む。
はるか昔、マンガで読んだ文章を思いだしていた。
「芸術とは、人間が人間に与えることが出来る、この太陽の光なんだ」
と自分で独り言いつつ…。
ケーブルテレビでやっていたドキュメンタリー映画、
邦題は「ベルリン・フィルと子どもたち」。
見る予定のなかった映画、しかも途中から見始めたのに
最後は身を乗り出してた。
2003年1月に行われた教育プロジェクト。
世界各国の様々な人種・年齢の子どもたち250人が
ベルリン・フィルの演奏とともにストラヴィンスキーの「春の祭典」を踊る。
ダンスなんてやったことない子がほとんど。
クラシックなんて興味ない、やる気もほとんどない。
振り付け師が話す間もふざけているし、ただ歩いたりするだけの練習にも飽きて不満だらけ。
どうやって、これでダンスが出来るんだ?
見ている方も不安になってくる。
振り付け師のロイス・マドルゥームさんやベルリン・フィルの指揮者サイモン・ラトルさんへのインタビューもはさまれる。
それぞれが「これだ!」と音楽やダンスに心奪われた時のこと。
「周囲とは変わった子」が自分の場所を見つけていく話。
「芸術は芸術家のものではありません。ベルリン・フィルは権威の象徴ではない。」
やがて子どもたちが変わっていく。
真剣にやらなくては手に入れられないものに気がつく。
目や表情が変わる、ぎごちなく挙げていた両手が太陽を浴びるように開く。
250人の舞台は、おそろしく美しい。
一人一人の動きがうねりのように現れる。
再び春が訪れるようにとささげられる少女。
「春の祭典」という曲に翻弄されながら。
そして大きな拍手が包む。
はるか昔、マンガで読んだ文章を思いだしていた。
「芸術とは、人間が人間に与えることが出来る、この太陽の光なんだ」
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2008.10.26
福岡では相撲の九州場所が終わると本格的な冬
…のはずだった。
11月も間近だが、紅葉もほとんどせず
上着どころか、半袖の人さえいる。
いったい、いつまで秋なんだ?
で、話は秋とは関係なく
読書について。
6月頃に「THE MANZAI」という本を買って読んだのをきっかけに
数年に一度の読書シーズンに突入。
滅多に見なかった新聞の読書欄、テレビの読書番組などを毎回確認し
読みたくなったら即買っている。
最近買ったもの、以下の通り。(著者名は敬称略)
「バッテリー」 あさの あつこ
「福音の少年」 あさの あつこ
「夜叉桜」 あさの あつこ
「弥勒桜」 あさの あつこ
「魔女」 五十嵐 大介
「狐笛のかなた」 上橋 菜穂子
「薬指の標本」 小川 洋子
「第六大陸」 小川 一水
「ニシノユキヒコの恋と冒険」川上 弘美
「ゆっくりさよならを唱える」川上 弘美
「パレード」 川上 弘美
「古道具中野商店」 川上 弘美
「在日」 姜 尚中
「見送りの後で」 樹村 みのり
「卵の緒」 瀬尾 まいこ
「あぶな坂HOTEL」 萩尾 望都
「ぼくは勉強ができない」 山田 詠美
「愛のかたち」 やまだ 紫
「キッチン」 吉本 ばなな
よく名前を知られている人もいるが、樹村みのりさん・萩尾望都さん・
やまだ紫さん以外は初めて読んだ方ばかり。
嵐のように流行っている時には読む気が失せるので
古本で買う事が多いのだが、これは全て新刊で。
紹介したい本は、後日ゆっくりと。
…のはずだった。
11月も間近だが、紅葉もほとんどせず
上着どころか、半袖の人さえいる。
いったい、いつまで秋なんだ?
で、話は秋とは関係なく
読書について。
6月頃に「THE MANZAI」という本を買って読んだのをきっかけに
数年に一度の読書シーズンに突入。
滅多に見なかった新聞の読書欄、テレビの読書番組などを毎回確認し
読みたくなったら即買っている。
最近買ったもの、以下の通り。(著者名は敬称略)
「バッテリー」 あさの あつこ
「福音の少年」 あさの あつこ
「夜叉桜」 あさの あつこ
「弥勒桜」 あさの あつこ
「魔女」 五十嵐 大介
「狐笛のかなた」 上橋 菜穂子
「薬指の標本」 小川 洋子
「第六大陸」 小川 一水
「ニシノユキヒコの恋と冒険」川上 弘美
「ゆっくりさよならを唱える」川上 弘美
「パレード」 川上 弘美
「古道具中野商店」 川上 弘美
「在日」 姜 尚中
「見送りの後で」 樹村 みのり
「卵の緒」 瀬尾 まいこ
「あぶな坂HOTEL」 萩尾 望都
「ぼくは勉強ができない」 山田 詠美
「愛のかたち」 やまだ 紫
「キッチン」 吉本 ばなな
よく名前を知られている人もいるが、樹村みのりさん・萩尾望都さん・
やまだ紫さん以外は初めて読んだ方ばかり。
嵐のように流行っている時には読む気が失せるので
古本で買う事が多いのだが、これは全て新刊で。
紹介したい本は、後日ゆっくりと。
2008.10.26
最近、色鉛筆で描いている。
描きためたものを一気にアップしてきた。
大きな面を塗るのは苦労するので、色画用紙を買い込んだ。
でもスキャナで読み込むのが、うまくいかない。
描いた通りの色が残せない。
赤い色に魅せられて買ってきたりんごを
食べる前に描いたり
毎日見上げるクレーンを描いてみたり。
画板を出勤に携えていく覚悟がないので、見ていく。
写真に撮るより、じっくり見ていく方が記憶に残る。
絵で残すともっといい。
描きためたものを一気にアップしてきた。
大きな面を塗るのは苦労するので、色画用紙を買い込んだ。
でもスキャナで読み込むのが、うまくいかない。
描いた通りの色が残せない。
赤い色に魅せられて買ってきたりんごを
食べる前に描いたり
毎日見上げるクレーンを描いてみたり。
画板を出勤に携えていく覚悟がないので、見ていく。
写真に撮るより、じっくり見ていく方が記憶に残る。
絵で残すともっといい。
2008.10.05
昨日はベランダで土いじり。
りんどうと桔梗を新しいプランターや自作の漆喰鉢に植え替え。
土がまだまだ足りなかったので、春咲き球根は次回。
外でスケッチするには良い気候になってきたので
懐かしい画板を、画材店で探してきた。
軽い段ボール製にした。
ベランダの隅にアロエが置いてある。
大きくなりすぎたので枯れかけた枝だけ落としたのだ。
「もしも根が出てきたら、新しい鉢にでも植えてあげよう」
(サボテンなどの多肉植物は、切ったまま放置した方が根付きがよい。)
すぐに枯れはしないと思ったが、1ヶ月しても先の方は緑のまま。
なんて生命力。
思い切ってゴミ袋に入れることもできないまま、放置し続けた。
春が過ぎ、夏も終わったのに、まだ枯れてしまわない。
罰を受けているようだ。
だから、描いた。
アロエを見ながら描いているうちに思った。
今年、ベランダでは買ってきた花々や昔なじみや
どこからか飛んできた草が繁茂したが
決して「育てた」わけではないよな、と。
「育った」のだ。
植物だけではなく、生き物は「わたしが育てる」わけではない。
自分の力で育つんだ。
「わたし」が出来るのは、その手助けをするだけ。
たとえば親や教師や医者とか、自分を力ある者と思う人間は
手伝い役なのではなく、「育ててやってる」なんて
恥ずかしいことを信じていることがある。
どんな生き物にも、誰に対しても。
生きていく力の前に頭を垂れる。
りんどうと桔梗を新しいプランターや自作の漆喰鉢に植え替え。
土がまだまだ足りなかったので、春咲き球根は次回。
外でスケッチするには良い気候になってきたので
懐かしい画板を、画材店で探してきた。
軽い段ボール製にした。
ベランダの隅にアロエが置いてある。
大きくなりすぎたので枯れかけた枝だけ落としたのだ。
「もしも根が出てきたら、新しい鉢にでも植えてあげよう」
(サボテンなどの多肉植物は、切ったまま放置した方が根付きがよい。)
すぐに枯れはしないと思ったが、1ヶ月しても先の方は緑のまま。
なんて生命力。
思い切ってゴミ袋に入れることもできないまま、放置し続けた。
春が過ぎ、夏も終わったのに、まだ枯れてしまわない。
罰を受けているようだ。
だから、描いた。
アロエを見ながら描いているうちに思った。
今年、ベランダでは買ってきた花々や昔なじみや
どこからか飛んできた草が繁茂したが
決して「育てた」わけではないよな、と。
「育った」のだ。
植物だけではなく、生き物は「わたしが育てる」わけではない。
自分の力で育つんだ。
「わたし」が出来るのは、その手助けをするだけ。
たとえば親や教師や医者とか、自分を力ある者と思う人間は
手伝い役なのではなく、「育ててやってる」なんて
恥ずかしいことを信じていることがある。
どんな生き物にも、誰に対しても。
生きていく力の前に頭を垂れる。
2008.09.23
今年の夏はうまく乗り切った。
毎年、何かが枯れてしまっていたのに。
猛暑日続きだから水を忘れちゃ駄目だと緊張していたのが良かったのか。
雑草も抜かずに育てているもので
鉢の空くヒマがない。
なのに、つい買ってきてしまうものだから
今年は歩く場所を確保するのに苦労する。
先日も秋のお祭り(放生会)に行ってきたが
つい立ち寄った夜店で娘と一緒に盆栽を買ってしまった。
私は3年もののカエデ、娘は斑入りのドクダミ(赤い葉)。
夏の間は洗濯物を干したり、水まきをする以外
ベランダには出なかったが、涼しくなってくると
スケッチブックを片手に蚊を避けながら
描きたくなってくる。
見れば見るほど、生き物って見事だ。
「なんのために」とか、理由は後の時代の研究者が解明するかもしれないが
今感じている驚きはずっと続く。
驚いたんだ、って描きたくなる。
毎年、何かが枯れてしまっていたのに。
猛暑日続きだから水を忘れちゃ駄目だと緊張していたのが良かったのか。
雑草も抜かずに育てているもので
鉢の空くヒマがない。
なのに、つい買ってきてしまうものだから
今年は歩く場所を確保するのに苦労する。
先日も秋のお祭り(放生会)に行ってきたが
つい立ち寄った夜店で娘と一緒に盆栽を買ってしまった。
私は3年もののカエデ、娘は斑入りのドクダミ(赤い葉)。
夏の間は洗濯物を干したり、水まきをする以外
ベランダには出なかったが、涼しくなってくると
スケッチブックを片手に蚊を避けながら
描きたくなってくる。
見れば見るほど、生き物って見事だ。
「なんのために」とか、理由は後の時代の研究者が解明するかもしれないが
今感じている驚きはずっと続く。
驚いたんだ、って描きたくなる。
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プロフィール
HN:
おっきい人
HP:
性別:
非公開
趣味:
ヒマがあれば散歩し、地面があれば落書きし、草原があればごろ寝。
自己紹介:
高校生の頃、友人からつけてもらったニックネームをそのまま使用しています。
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